居合道の本質と意義
- 居合の本質と意義
居合術の発祥は往昔の武士が、外敵の不意の襲撃から自己を防衛するため、必然的に工夫考案された刀法であって、抜き打ちに敵を斬る術で、人を斬ることを本質とする。
これがだんだん考究され、体形づけられ、且つ広く利用されるようになり、消極的技法から積極的な技法にまで応用されるようになり、その発達に伴い厳格な慣習、礼儀作法等おも加味せられ、遂いに儒教、神道、仏教の三道と融合調和して、一種の道徳であり、悟道であるという点にまで発展したものと思われる。
居合は剣道の立会いに対する、所謂敵と居合わすの意味で、剣道のように抜き合わせてから勝負するものではなく、座居の時、歩行中、その他あらゆる時と場所において、敵の不意の襲撃を事前に察知して直ちにこれに応じて、「先の先」をしめ、あるいは「先」又は「後の先」の鞘放れの一刀を以って、紫電一閃の裡に敵を斬る術である。
古来居合のことを居相、座合、抜刀術、鞘の中、等と書き「居合の勝負は鞘の中にあり。」といわれていたように、抜刀前すでに心意気を以て敵を圧し、敵を呑み、刀を抜かずして大方の勝を得る態の修行であり、抜刀しては電光石火一瞬の裡に勝を制する、自衛の理念に発した斃敵技法である。
従ってあらゆる時と、場所における、敵を仮想して、これに対し対座、歩行時の心構え、敵の心気の看破、正しい運剣法と身体の運用を練磨し、形より心に入り、業によって心を養い、心剣一如、動静一貫の妙所を悟り、静的気魄を練磨し、品格の練成に努め、各人の天職に奉じ、処世の大道を正しく歩むことによってこそ、真の居合道の意義がある。
人間完成への修行道である。
(「居合道の手引き」より)
居合道範士十段 川久保 瀧次 先生